其の一阡五百八拾七
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2019年10月02日 水曜日 アップ日 2022年08月31日 水曜日 |
||||||||||||
ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 1884年(明治17年)3月2日、東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現東京都文京区弥生)の 向ヶ岡貝塚で貝や縄文土器とともに口縁を除いてほぼ完形の壺が出土した。 発見者は、有坂鉊蔵・坪井正五郎・白井光太郎の3人で、みな当時20才前後の学生だった。 発見地については、1889年(明治22年)坪井正五郎が『東洋学芸誌』に報告し、 1923年(大正12年)に発見者の有坂鉊蔵が記録を残している。 向ヶ丘貝塚の正確な位置については長い間不明であったが、 東京大学文学部考古学研究室が、本郷キャンパスの一角、 工学部9号館の近くで遺構の一部を確認し、その周辺であることがほぼ確定的となった。 1974年、東京大学構内で弥生土器が発見され、翌年発掘調査が行われた。 その区域から環濠と考えられるV字形の溝が検出された。 この調査地点が、弥生の壺の発見者である有坂鉊蔵の向ヶ丘貝塚の記述と合致し、 弥生の壺発見場所はV字形環濠のうちのどこかであった可能性が高い。 同遺跡は1976年弥生二丁目遺跡として国の史跡に指定された。 (Wikipediaより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~ 何時のが出てくるか判りまへんで! 袖擦り合うも他所の縁~ いつまで知った景色が在るのやら。。 頑張ってボチボチ更新中…^^;
|