和田山駅
1906年(明治39年)
4月1日:山陽鉄道が新井駅から延伸し、その終着駅として開業。客貨取扱を開始。
12月1日:山陽鉄道国有化により国有鉄道の駅となる。
1908年(明治41年)7月1日:八鹿駅まで路線延伸し、途中駅となる。
1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。播但線の所属となる。
1911年(明治44年)10月25日:播但線の支線として福知山駅 - 当駅間が開通。
1912年(明治45年)3月1日:線路名称改定。
播但線の福知山駅 - 当駅 - 香住駅間が山陰本線に編入され、当駅もその所属となる。
播但線は飾磨駅(のちの飾磨港駅) - 姫路駅 - 当駅間となる。
1943年(昭和18年)5月30日:漏電により駅舎焼失。
1974年(昭和49年)5月22日:みどりの窓口の営業を開始。
1976年(昭和51年)4月26日:現駅舎に改築。
1982年(昭和57年)10月3日:貨物取扱を廃止。
1986年(昭和61年)3月1日:荷物扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2020年(令和2年)
2月13日:この日をもってみどりの窓口の営業を終了。
2月14日:みどりの券売機プラスが稼働開始。
2021年(令和3年)3月13日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。
(Wikipediaより)
※駅舎の右には
旧和田山機関庫の車両庫と給水塔
|
トトロが出そうな~
※駅の西側に~
内倉神社サン
|
社殿前狛犬
阿
※吽
|
宿から竹田城方面
※市内の煉瓦蔵
|
駅前から
東へ~
※洋館の上垣医院さん
|
どちらも魅力的な~
竹田から生野~姫路につながる道
高架は北近畿豊岡自動車道
※駅に続く道
|
圓龍寺さん横に洋館の集会所
元々は、「環田山」という字を書いたといわれる朝来市和田山町和田山地区。
圓龍寺には『和田山の 源はこの 岩清水 清水庵(圓龍寺の旧名) 十八戸より 町造り』という句が残り、
この寺を環の中心とする門前町として、町が形成されたそうだ。
寺を環の中心とする門前町として、町が形成されたそうだ。
(ザ・たじま但馬辞典より)
※旅館「群鶴亭」さん
明かりが灯ればエエ感じ~
|
東へ~
福知山~京都に続く道
※門前町として栄えた和田山だが、山陰道と播但道の分岐点であったことから、
宿場町としても賑わいを見せた。
養蚕で生産された繭の集積地として繁栄した町の歴史を色濃く物語っている。
(ザ・たじま但馬辞典より)
|
うだつの在る通り~
※
|
右 はりま
左 いせ 道
※中洲上にあるが故に、水害の多い土地でもあった。8月の地蔵盆に行われる
但馬三大祭りのひとつでもある「地蔵祭」は、そうした土地柄を伝える伝統行事。
円山川の洪水によって亡くなった水死者の霊を慰めるために、
近隣の人々が圓龍寺に子安地蔵尊を建立したことが、「地蔵祭」の起源とされる。
寺は極楽浄土があるとされる西方を向き、祈りの寺として住民の信仰を集めてきた。
(ザ・たじま但馬辞典より)
子安地蔵尊
|
四国88カ所の写しがあったんでしょうか?
祠は無いですね。
※
|
煉瓦蔵も~
※うだつの在る町並み~
|
※
|
※
|
※
|
附近には他にうだつの集中して在る町並み
は無かったです。
|