古/いにしえの面影       其の一阡五百七拾七
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2020年09月10日 木曜日
アップ日  2022年08月24日 水曜日

奈良県大和郡山市万願寺町
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

大和郡山市
古代の大和国添下郡村国郷、矢田郷、添上郡大宅郷、平群郡額田郷の地である。
延喜式内の矢田坐久志玉比古神社(矢田町)や菅田神社(八条町)、賣太神社(稗田)が鎮座する。
都市の形が形成されたのは、戦国時代末期に筒井順慶が郡山城に拠り、その城下町が発達してからである。
順慶亡き後1585年に豊臣秀長(当時羽柴秀長)が郡山城に入り、郡山はこの時期大和国の中心都市として栄えた。
江戸時代に入ってからは一時奈良奉行所の管轄となったが荒廃する。
大坂夏の陣後に同戦役で活躍した水野勝成が入り、以後松平忠明に始まる松平家、
本多政勝に始まる本多家と続き、享保9年(1724年)には、
享保の改革における幕府直轄領拡大政策に際して甲斐国が幕領化され甲府藩藩主であった柳沢吉里が転封され、
明治維新まで柳沢氏が郡山藩藩主家として一帯を統治した。
また、片桐且元または片桐貞隆に始まる片桐氏が市内、小泉町の小泉陣屋に入り、小泉藩(片桐藩)藩主となった。
版籍奉還・廃藩置県に始まる紆余曲折を経て、1887年に奈良県が再設置された。
1889年の町村制実施で8つの町村(郡山町、筒井村、矢田村、本多村、平端村、治道村、平和村、片桐村)が誕生。
1896年に添下郡と平群郡が合併、生駒郡が成立、現在の大和郡山市役所に生駒郡役場が置かれた。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

ロードスターでポタします。

※万願寺橋
富雄川の自歩道専用橋を~

上流方向
富雄川
奈良県最北部に位置する生駒市高山町の高山溜池に発し、
南へ向かって矢田丘陵に沿うようにして流れ、
生駒郡斑鳩町と安堵町の境界で大和川に合流する。

大和川水系で最北端の川でもある。
(Wikipediaより)

※下流方向

左岸

※富雄川の堤防より一段下がります。

東に川と平行に集落が在ります。



奇麗な土蔵も~



長い築地も~



南端~

※稲穂が揺れて~

横目で~



やはり大風対策でしょうか?
幅の広い瓦屋根

※立派な屋門

ガマの穂揺れて~
基本的に湿地なんでしょうね。

※パターソン真似て~

和洋折衷~

※トタン被せなんですね。
白壁もありゃ~

本来土蔵の
空気抜きなんでしょうが~
馬繋ぎ金具も~



重厚な造ですね。

※向こうに矢田丘陵が~

郡山庁舎グラウンド脇を~

※黄金色に染まる季節にも
訪れたいですね。

九頭上池(くずかみいけ)
古説に、西暦六壱五年頃、聖徳太子が
万願寺を最後に創建された。
現在ではその偉容はないが、大字銘「万願寺」
小字名「堂下」「堂前」『堂後」として存在している。
その南面、約150mの地に太子築造された池が現「九頭上池」である。
(現地石碑より)



今では伽藍が
スーパーマーケットです…

※近くの慈光院庭園池にて~
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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