其の一阡五百四拾三
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2019年04月09日 火曜日 アップ日 2022年06月22日 水曜日 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 天文年間(1532~55)本願寺の今井兵部によって建てられた称念寺が、今井町の起こりと言われています。
世は戦国時代。野武士、盗賊、他宗派、大名などからの攻撃を避ける為に、周辺に濠と土居を巡らせ、 僧侶や門徒を守るための武力が備えられました。 見通しのきかない筋違いの道路や、九つの門跡がそれを物語っています。(寺内町) 天下統一を狙っていた織田信長と一向宗は敵対しており、各地で一向一揆が起こっていました。 今井町も濠を深くし、厳重武装で反抗していましたが、本願寺の降伏に伴い、 交流の深かった堺の豪商や明智光秀のとりなしで武装放棄しました。 その後は、商工業都市として発展。俗に、「今井千軒」「海の堺 陸の今井」と呼ばれるほどになっていきました。 また、経済的に豊かな町民は、茶道などの文化・文芸にも従事し、華道・能楽・和歌・俳諧などが好まれ、 各地との交流も盛んになりました。 豊臣秀吉が、吉野詣での途中に今井の茶室で接待されたという記録もあります。 (かしはら探訪ナビHPより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~ 何時のが出てくるか判りまへんで! 袖擦り合うも他所の縁~ いつまで知った景色が在るのやら。。 頑張ってボチボチ更新中…^^;
|