えー天気に誘われて~
近鉄に乗ってプー太で輪行です。
※八木駅前通りを~
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近鉄橿原線
踏切渡って~
※気に成ります~
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陸軍少尉の方の碑
大日本帝国陸海軍の少尉並びに同相当官は高等官八等相当であり、正八位、勲六等ないし五等の勲等に叙せられ、
武功著しい場合は功五級ないし三級の功級に叙せられて、金鵄勲章を授与された。
少尉には次の者が任命された。
陸軍
陸軍士官学校を卒業した見習士官(曹長)で、所属部隊の兵科将校全員からなる選考会議がその任官に合意した者
准尉(特務曹長)・曹長より志願して試験に合格し士官学校で少尉候補者教育を受けた者
甲種幹部候補生(旧制の一年志願兵)教育を受けた見習士官(曹長)で、
所属部隊の兵科将校全員からなる選考会議がその任官に合意した者。役種は予備役。
陸軍経理学校を卒業した少尉候補生
日露戦争中に戦時特例で特務曹長より少尉に進級した者。
現役定限年齢となった准尉(特務曹長)の優秀者より選抜されて予備役少尉に進級した者。
(Wikipediaより)
※西へ~
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内膳大師堂
見忘れました~
※飛鳥川の堤防の
景色に惹かれまして…
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江戸時代に入って、奈良盆地では二毛作が始められ、菜種などの商品作物が栽培さ
れ始めたのが水運発達を促したと思われる。河内から大和へは、肥料(油粕、干鰯)、
塩などや雑貨が上がり、大和の綿作りが栄、大和から河内へは米、綿花や雑穀など
農産物や特産物が下っていた。
宝永元年(1704)には河内側で大和川がまっすぐ西へ付け替えられ
大和川船運は飛躍的に発展した。
享保期(1716~1735)の記録では、支流のかなり上流まで船が遡上していたことが
わかる。川合浜に拠点があり、初瀬川筋は嘉幡(かばた)、寺川は今里、飛鳥川は松本
までさかのぼることができた。そこには浜(港)があり、問屋の倉庫が並んでいて、
各地に陸送する人馬が常備されていた。ちなみに、当時の時刻表によると今の奈良県
田原本町から大阪市内まで約十三時間かかっている。
(大和川の水運HPより)
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舟便が行き来したんですね~
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立派なソメイヨシノの並木
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古の姿~
まず、堤防は有ったんでしょうか?
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今井・寺内町
今井町(いまいちょう)は、奈良県橿原市の中部に位置する地区で、
1~4丁目からなる。戦国時代の寺内町が原型となり、全建物数約1500棟弱のうち、
約500棟の伝統的建造物があり、全国で最も多い地区となっており、
国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
また、国の重要文化財が9件、県指定文化財が3件、市指定文化財が5件あり、
2017年(平成29年)4月28日に日本遺産に認定された。
(Wikipediaより)
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蘇武橋の榎
※現地説明板では、幹周/5m、樹高/14m、樹齢/推定420年。
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石燈籠
※手前は飛鳥川の堤防兼ねた道路
町内は少し低めですね。
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北尊坊通り
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西へ~
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山尾家住宅
※山尾家住宅(県指定有形文化財) - 山尾家は、十市郡新堂村より移住したので
「新堂屋」の屋号で、両替商を営んでいた。
「今井しんどやは大金持ちや 金の虫干し玄関までも」と言われるほど栄え、幕末には、町年寄を務めた。
明治天皇今井行幸に随行した木戸孝允が投宿した。
主屋、座敷、内蔵、隠居所、東蔵の5棟が奈良県指定有形文化財。
(Wikipediaより)
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見返って~
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北側環濠沿いを~
※小公園
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ポンプ
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八幡神社
今井町の西北に鎮座している。
現在当社境内社になっている稲荷神社のみの社地であった所へ
境内に常福寺の鎮守春日神社の境内社であった
八幡神社の神霊をこの地に勧請して祭られた。
当社境内に銀杏の大木があり胴囲4mを数える。稲荷明神祭2月初午の日祭礼修業有り。
八幡宮祭8月15日。
(Wikipediaより)
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神社正面
※扁額
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手水舎
※手水鉢
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経塚
※裏側~
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皇太子殿下
御誕生記念碑
平成上皇さん
※裏側~
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本殿舎
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寺内町の外
工場の風景~
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寺内町にて~
ナショナル坊や
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角石
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※路地風景~
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大工町筋
突当りは西光寺さん
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上田家住宅
屋号を「壺屋」といい、先祖は、葛下郡片岡城主・片岡新助藤原春利で片岡城落城後、
上田新七郎之長が1571年(元亀2年)当地に移住した。
1679年(延宝7年)より今西家・尾崎家と並び惣年寄を務めていた。
当家には、惣年寄の旗が残っている。1744年(延享元年)の祈祷札がありこの頃の建築とみられる。
入母屋造りで、大壁造の妻をみせた外観は重厚な感じを与え、入口が西に構えているのは珍しい。
事前予約必要。1972年(昭和47年)5月15日重文指定。
(Wikipediaより)
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見返って~
※屋号の壺屋が飾り瓦
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新入生
家族の肖像
※馬繋ぎ金具
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袖壁
煙抜き
大好きです!
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蓮妙寺さん
※鐘楼
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見返りながら~
※甍の波~
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吉村家住宅
※旧は上田家
屋号は壺八
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こちらも新入生
※突当りは順明寺さん
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唐箕
内蔵する四枚羽の板がハンドルと連動して回転するようになっており、
唐箕の上部に配した漏斗(じょうご)から少しずつ穀物を落下させ、
そこに横から風を送ることで、藁屑や実のない籾などの軽いものを吹き飛ばし
実の詰まった重い穀粒だけを手前に落とすのが基本的な原理である。
落下させる穀物の流量を調節する弁が漏斗の下部に配置されており、
穀物が落下しないように止めることも出来る。
漏斗の下には穀物を唐箕の外に取りだす樋が2本配置されており、
風に飛ばされずに重力で真下に落下した穀物を受けとめる樋が一番樋、
風によって少しだけ横に飛ばされる、しいな等の軽い穀物や、
選別の不完全なものを受けとめる樋が二番樋とそれぞれ呼ばれる。
藁屑、籾殻、ソバ殻、豆殻等の軽いものは、風に乗ってそのまま機外に排出される。
(Wikipediaより)
※ココロノヤサシイオッサンノミセデス。
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日常が文化財の中~
※売物件
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※地蔵尊
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順明寺表門(市指定文化財) - 浄土真宗本願寺派の寺院で、
1626年(寛永3年)第10世多田了恵が新賀庄より今井へ移ったとされ、「北の御堂」と呼ばれている。
また庫裡西方には「上段の間」を付設した座敷も増設されており、
1891年(明治24年)11月に英照皇太后が畝傍御陵参拝の際に宿泊し御座所になっている。
(Wikipediaより)
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境内から見返って~
※本坊
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御坊
※正面から~
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