古/いにしえの面影       其の一阡五百参拾四
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2019年04月19日 木曜日
アップ日  2022年01月24日 火曜日

沖縄県国頭郡今帰仁村古宇利(古宇利ビーチ)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
古宇利島(こうりじま)は、
沖縄県国頭郡今帰仁村に属する島で、沖縄本島北部にある屋我地島の北に位置する。
2005年2月に古宇利大橋が完成し、名護市の屋我地島と橋で結ばれた。
行政上は今帰仁村に帰属しているが、屋我地島と今帰仁村本島側との間の架橋(ワルミ大橋)が
開通するまでは、古宇利島から村役場のある仲宗根に向かう際、
またこの島の中学生らが通学する際にも屋我地大橋を経由して迂回しなければならなかった。
(Wikipediaより)

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屋我地大橋渡って~
屋我地大橋(やがじおおはし)は、沖縄県名護市真喜屋の奥武島(無人島)と同市屋我地島とを結ぶ
全長約300メートルの沖縄県道110号線の橋である。1993年3月に完成した。
初代の屋我地大橋は1953年に完成したが、1960年のチリ地震の津波で橋の上部が流失。
それから3年後の1963年に2代目が完成し、30年にもわたって沖縄本島と結ぶ重要な交通手段を果たした。
しかし、本土復帰後の道路整備の過程で幅員が5.5メートルと極端に狭いこと、
歩道がなくて交通安全上危険なことなどから、1990年代には3代目(現状)を建設、
1993年に完成した。3代目の橋は幅員が12メートルで先代(2代目)の倍以上である歩道も設置されており、
景観に合った現代的なデザインとなっている。
(Wikipediaより)


※屋我地島

赤土にサトウキビ
サトウキビ(砂糖黍、甘蔗、学名:Saccharum officinarum)は、
イネ科サトウキビ属の植物。砂糖の原料になる。
日本語の別名は甘蔗(かんしゃ、かんしょ)である。
ただし、「かんしょ」の発音は「甘藷」(サツマイモ)と同音であり、
サトウキビの産地とサツマイモの産地が重複していることもあり、紛らわしいので好まれない。
中国語では甘蔗(拼音: gānzhè ガンジョー)と呼ぶ。
種子島では おうぎ、奄美群島の徳之島では うぎ、沖縄方言では ウージ と呼ばれている。
これらはオギ(荻)が訛ったものであるが、オギはイネ科ススキ属であり属が異なる植物である。
産地では新聞の見出しなどでは、単に「キビ」と書かれることもある。
近代史の中では、薩摩藩の蓄財を南西諸島の島々のサトウキビが支えてきたとされる。
その歴史から「維新を適えた」との評価も、沖縄・奄美諸島への厳しい支配・徴税との評価もともに見る必要がある。
(Wikipediaより)


※向こうは古宇利島

この日はマラソン大会?

※走ってます~

沖縄本島から1.5キロメートル (km) 離れた古宇利島へは1911年にサバニによる本島への定期輸送が開始され、
船舶の近代化や港湾整備で輸送力は改善されていたが、それでも架橋による過疎抑制などを強く求めていた。
1979年には今帰仁村から沖縄県に対して架橋構想が公式に出され、
その後も沖縄開発庁や建設省にも要請活動が行われた後、1990年代に構想が具体化。
県道指定を受けた1997年に屋我地島との大橋の本体工事が始まり、2005年2月8日に竣工。
古宇利島民にとっては悲願の開通であったと同時に、観光客も、古宇利大橋自体の規模、
離島の古宇利島が「沖縄の原風景」を味わえるスポットの一つであること、
また、後に整備された古宇利ビーチを利用するため、多くの人々が訪れるようになった。
(Wikipediaより)




インバウンドの方も多かったです~

※奇麗な海です。

子供は泳いでるし~



観光メインの島でしょうか?



タコノキ
目につきます。

※台風対策か?
欄干より高い照明灯などは無い…

青空が残念でした~

※梅雨の走りのような雲
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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