二級河川の北川沿いに
県道中井浦九鬼線
※海岸線が近いので水門~
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特徴的な樹木も~
※北川橋
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金剛寺さん
立派な山門
金剛寺の仁王像
仁王尊は伽藍(がらん)守護の神で、寺院山門の両脇に安置されている。
開口形を金剛像、閉口形を力士像というが、
ともに勇猛(ゆうもう)・獰悪(どうあく)の形相をしていて、寺院の守護神である。
この仁王尊一対は、ドイツ人が日本で購入し、本国に持ち帰るべく横浜港に運んだところ、
大正3(1914)年8月、第一次世界大戦となり、日独が敵対関係となったため、彼は輸送を断念し、
横浜の業者に売却して帰国した。
それを、昭和3(1928)年に金剛寺山門が落成したとき、鬼頭弥左衛門氏が購入し寄進したものである。
当地方では立派な山門を有し、巨大な仁王像をまつっているのは、金剛寺だけであり、
そのうえ見事な力強い彫刻である。江戸時代初期の制作と推定され、身長はともに3m70cmである。
(尾鷲市HPより)
今度見に行こうっと!
※鐘楼も~
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お隣に尾鷲神社サン
尾鷲神社(おわせじんじゃ)は、三重県尾鷲市北浦町12-5にある神社。
尾鷲七郷の総鎮守(氏神)であり、例祭のヤーヤ祭りで知られる。
近代社格制度に基づく旧社格は郷社。
宝永4年(1707年)の宝永地震と安政元年(1854年)の安政南海地震による津波で記録や古文書などが流出しており、
尾鷲神社の歴史は判然としない。
尾鷲神社自身は古老の伝承に倣って「大宝年間(701年 - 703年)に
播磨国広峰山の広峯社より建速須佐之男命を勧請したのが創祀」としている。
紀伊続風土記によれば、尾鷲神社は伊勢神宮の神領にあり、遷宮の際には豊受大神宮(外宮)の
神職が神事を執り行ったとの記述がある。
寛永12年(1635年)に紀州藩が作成した奥熊野山林御定書には「大宝天王 一楠廻壱丈九尺 廻壱丈八尺 (中略)、
右者奥熊野尾鷲組在々之内、寺社境内ニ当時生立御座候楠栢槻私共相改候間、尺廻等如斯ニ御座候。以上」とあり、
大楠の幹周りが現在の単位に換算して5.7メートルだったと記録されている。
宝永4年(1707年)の宝永地震の際には、地震に伴う津波で尾鷲神社の本殿が流出したが、
本殿の脇に立っていた大楠は生き残った。
1966年(昭和41年)には腐った大楠の幹の空洞に火が入り、3日間燃え続けたが大楠は無事だった。
2020年から2021年の年越しにかけてはかがり火を焚くのをやめ、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、
年越しでの初詣の自粛を求めた。
(Wikipediaより)
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「尾鷲神社の大樟」
夫婦楠と呼ばれる2本のクスの巨木5メートルほどの間隔で並んでおり、枝が重なり合って一つの樹冠を形成している。
南側の雄楠は目通り幹回り10メートル、北側の雌楠は目通り幹回り9メートルに達する。
雄楠も雌楠も樹齢1000年以上と推定され、ともに三重県屈指の巨樹とされる。
1937年(昭和12年)11月12日、三重県天然記念物に指定された。
雌楠の瘤こぶに触ると子を授かるという言い伝えがあり、古くから子宝授けなどのの神木として親しまれている。
近年には子宝授けの縁起にあやかろうと、遠方からも参拝者があるという。
(Wikipediaより)
※夫婦楠
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手水鉢
※「尾鷲神社獅子頭」
本殿内の獅子殿には、総高33cm×面長46cmの木彫の獅子頭が安置されている。
例祭であるヤーヤ祭の最終日、御獅子出御の儀式で使用される。
1968年(昭和43年)3月22日、三重県有形民俗文化財に指定された。
(Wikipediaより)
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神馬像
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拝殿正面の狛犬
阿
※吽
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栃の実が供えられてました。
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拝殿正面
左手に栃の木が~
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尾鷲市絵図
※北川橋から市内へ~
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北川
上流側
※護岸整備されたところも~
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二階建て土蔵も~
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ありゃ~
※妻入り家屋通り
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遠洋漁業の基地だったせいか
飲み屋さんが多い~
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うどん屋さん?
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遠洋漁業基地
前には~
01 02
※空地も目につきます。
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軒先歩きポタ~
※津波は逃げるが勝ち!
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商店街の面持ち
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ウロウロと~
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新型コロナウイルスの関係で
人気が少ない?
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尾鷲小学校
門柱も歴史を感じられます。
※二宮金次郎像
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ミゾソバ満開
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市内地は400m~500mの
山地に囲まれてます。
※天狗倉山(522m)
馬越峠(まごせとうげ)は、三重県北牟婁郡紀北町と尾鷲市の境をなす峠。
標高は資料によって値が異なり、325m・340m・350mとされる。
天狗倉山の西部を越えている。残された峠の石畳道は約2km。杉・桧が林立する森の中を幅1間半の古道が続く。
峠道の頂上には西国三十三所名所図会に描かれた茶屋の跡がある。
開通時期は未詳であるが、元和9年(1623年)・寛永12年(1635年)・正徳2年(1712年)とする説があり、
紀州藩によって整備された。
ただし、現代も見ることのできる江戸時代に整備された石畳の下には、鎌倉時代から室町時代に敷かれた石畳が眠っている。
峠道は1888年(明治21年)に海岸沿いを通る車道が開通し、1916年(大正5年)には
相賀トンネルと尾鷲トンネルが開通したことから利用が激減した。1934年(昭和9年)には紀勢東線も開通している。
石畳の保存状況が良かったことから、1973年(昭和48年)に尾鷲市指定文化財となる。
平成16年台風第21号(2004年)が襲来した際は国道42号が崩落により通行止めとなる中で
馬越峠の石畳道はびくともせず、尾鷲市からの災害ボランティアが峠を徒歩で超えて
海山町(現・紀北町)へ向かったというエピソードがある。
2021年(令和3年)4月8日、東京オリンピックの聖火リレーのコースの一部に選ばれ、
峠の紀北町側(登り口から夜泣き地蔵前まで)を聖火ランナーが通った。
三重・奈良・和歌山の3県で熊野古道はゆとりを持って歩くことを取り決めているため、
峠道では走らずに歩いて聖火をつないだ。
(Wikipediaより)
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JR尾鷲駅
※改装中
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駅周辺風景
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県道203号 紀望通り
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県道203号 紀望通り
※煉瓦で囲まれた井戸?
野路町辺り~
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商店街へ~
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旅館ですか~
※破風付き玄関
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尾鷲よいとこスタンプ
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パチンコ屋さんもシャッター…
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NTTのテーブルアンテナ
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大漁旗
栄町辺り~
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飲みましょう
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港町辺り~
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おお!
お風呂屋さん
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手摺付き家屋
窓枠も御洒落!
※遠望にすれば山が入ります。
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北川への流れ込み
※尾鷲漁協脇に~
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恵比寿神社サン
※手水鉢
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漁港に~
※喧騒は一段落して~
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遠洋漁船
※中部電力尾鷲三田火力発電所の煙突撤去中
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この生簀は?
※大きめの船も~
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沖の波止には
釣り人に姿もチラホラ~
※人と鳥の距離感!
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北川河口、漁港の隣の
旧波止でしょうか?
※波止の方に向かって~
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あそこまで~
※県道155号
切通抜けて~
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天満浦辺り~
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何の干し網でしょうか?
シラス?
※海抜0mに近い
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市内方向を望む~
※漁船の溜まり
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夕景の尾鷲港~
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沖には佐波留島
別名ムーミン島
※ん?帆船!
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