今回は夕方散策でした~
昼間に再来したい地区です。
JR福知山駅前にて
国鉄C11形蒸気機関車(こくてつC11がたじょうききかんしゃ)は、
日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が1932年(昭和7年)に設計した
過熱式のタンク式蒸気機関車である。
最初は主に西日本の都市近郊や主要支線で使用された。
近畿地方の快速列車を牽引した際には特急と張り合う俊足ぶりを発揮した。
やがて活躍の場を広げてほぼ全国各地に配属され、主にローカル線の列車牽引に使用された。
気動車が普及するにつれて余剰となり始め、1960年(昭和35年)ごろから少しずつ廃車が出たが、
貨物列車用や入換用として蒸気機関車の末期まで数多く残った。
小型で運転線区を選ばず扱いやすいことや、比較的に維持費が安く済むことから
2020年(令和2年)現在、1両が運用を終了したものの
日本の動態保存中の蒸気機関車としては最多の5両が各地で保存運転を行なっている。
(Wikipediaより)
※転車台上のC11 40
転車台は、レールとそれを支えて回転する部分(主桁)と、
回転させるための土台となる地面を掘った窪み(転車台坑、ピット)からなる。
主桁上にあるレールの高さを転車台周囲のレールと揃える必要性があるため、
転車台坑は周辺の地面より掘り下げられている。
転車台坑中心には主桁の回転中心となる中央支承があり、
ピット内の外周部には円形にレールが敷かれ、
車両が載った主桁の重量の一部を負担しつつ、その回転を案内する。
主桁は、構造的にはガーダー橋と全く同一であり、
このため鉄道橋の一部として取り扱われることがある。
(Wikipediaより)
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駅の北側に~
※御霊神社サン
創祀は1705年(宝永2年)。
元々は宇賀御霊大神を祀る稲荷社と光秀を祀る菱屋町の常照寺と分かれていた。
福知山城主である朽木氏が、かつて当地を「福智山」と命名し、
福知山城を近世の城に改修するなど善政をしいた明智光秀の
合祀を許したことが始まりとされており、社号もこれに由来する。
そのため、明智光秀にまつわる数多くの史料を有する。
(Wikipediaより)
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境内の叶石
※拝殿舎前
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扁額付きの石鳥居
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新町商店街
※近くの木造三階建物
創業1905年からの老舗
高級和牛を中心に焼き豚、猪肉、販売いたしております
焼き豚は丹波の名産品として有名です
(中島本店HPより)
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商店街アーケード内に~
黒壁虫小窓家屋
※ライオン堂
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ライオン堂の看板
エエ味出してます~
※森吉稲荷神社サン
城下の武家方の堀端町と町方の鍛冶町を区切つていた四ツ切口跡です。
稲荷神社ですが、火の神さんとして譲り受けたという由緒や、
鎮座地は内記ですが、鍛冶町が護持しているとか。
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福知山城
明智光秀は、織田信長の命をうけ丹波国征討戦を開始、
これに敵対したのは赤井直正・波多野秀治連合軍で、塩見信房は赤井・波多野連合軍に加担していた。
当初は赤井・波多野連合軍は「赤井の呼び込み軍法」と呼ばれる戦術で明智光秀軍を撃退したが、
赤井直正が天正6年(1578年)3月9日に病死、波多野秀治の居城八上城が
翌天正7年(1579年)6月1日に落城、赤井直正の居城であった黒井城も同年8月9日に落城した。
これより前に明智光秀は丹波国征討戦に際して金山城を築き、
矢島刑部、朽木久兵衛、加上弥右衛門らが城代となっていたが、丹波国の掃討戦が開始された。
同年8月20日より四王天政春、林半四郎らが加わり横山城を攻めた。
塩見信房とその弟塩見信勝と共同で防戦したが、破れて自刃して死去した。
また山家城の城主和久利明も火を放たれ、攻められて敗れた。
猪ノ崎城の城主塩見利勝は自ら火を放ち、逃走する途中に林半四郎らに川北周辺で戦死した。
これを期に福山地方に属していた国人衆は皆、明智光秀に降伏し福知山平定が成った。
明智光秀は丹波国を平定すると、これを福智山城と改名、近世城郭へと修築し、
城代には藤木権兵衛と明智秀満を置いた。
天正10年(1582年)6月、本能寺の変となり明智秀満は武功を立てたが、
本能寺の変後は明智秀満の父が福智山城の留守居役となっていたらしく、
羽柴秀吉軍が福智山城を押し掛け、明智秀満の父を捕え、京に連行し同年7月2日粟田口で処刑された。
明智光秀は山崎の戦いで敗北し後に殺害された。
明智光秀の在城期間は3年間だけであった。
(Wikipediaより)
※内記稲荷神社サン
隠れキリシタンが刻んだといわれる聖母マリア像のある灯籠
が在るとか~
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商店街の「まいまい堂」さん
※カフェ・ギャラリー・雑貨・古道具など
色々扱っています~
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グンゼ(株)福知山配送センター
社名の「グンゼ」は創業時の社名「郡是製絲株式會社」に由来する。
「郡の是」とは、国の方針である国是、会社の方針である社是のように、
創業地の何鹿郡(現・京都府綾部市)の地場産業である蚕糸業を、
郡(地域)を挙げて振興・推進していこうという、
元農政官僚で殖産興業の父と呼ばれた前田正名の趣旨に基づいている。
(Wikipediaより)
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