其の一阡五百拾四
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
撮影日 2019年06月05日 水曜日 アップ日 2021年02月22日 月曜日 |
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ワッカン~
資料として気になる街角 撮っておきや!(by UFO先生) 冬場にできた天然の氷を溶けないように保管する必要があった。 正確な記録は残されていないが、洞窟や地面に掘った穴に茅葺などの小屋を建てて覆い、 保冷したとされる。氷室の中は地下水の気化熱によって外気より冷涼であるため、 涼しい山中などではこの方法で夏まで氷を保存することができる。 このように天然のものを保管するしかない時代、夏場の氷は貴重品であり、 長らく朝廷や将軍家など一部の権力者のものであった。 歴史的には『日本書紀』仁徳天皇62年条に額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が 闘鶏(つげ:現在の奈良県天理市福住町)へ狩りに出掛けたとき、 光るものを発見したとの記述が最初の登場とされる。 奈良時代の長屋王宅跡から発掘された木簡には「都祁氷室(つげのひむろ)」と 書かれたものも見つかっている。 『日本書紀』の孝徳天皇紀に氷連(むらじ)という姓(かばね)が登場し、 朝廷のために氷室を管理した職が存在したことがうかがえる。 例えば、朝廷の要職を占めた家の一つ鴨縣主家(主に賀茂神社の神官を輩出した、亦元豪族か。 賀茂神社祭神は鴨家の氏神)の家系図には「氷連」「氷室」の記述が見られる。 律令制においては氷室、製氷職は、宮内省主水司に属した。 その後も氷室とそれを管理する職は各時代において存在し、明治時代になって消滅した。 (Wikipediaより) (※=マウスポインターを画像上に置いて下さい) やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば… 気を抜いたらあきません~ 何時のが出てくるか判りまへんで! 袖擦り合うも他所の縁~ いつまで知った景色が在るのやら。。 頑張ってボチボチ更新中…^^;
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