古/いにしえの面影       其の一阡五百八
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2018年09月06日 木曜日
アップ日  2020年11月30日 月曜日
和歌山県紀の川市神領(海神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
熊野国
『日本書紀』神代紀(上)によると火の神カグツチを産んだときにイザナミは命を落とし
紀伊国熊野の有馬村に葬られたという(現在の花窟神社に葬られているとされる)。
また、『古事記』神武東征の段及び『日本書紀』磐余彦の東征の段によると
神日本磐余彦は兄とともに東方遠征に出て熊野の神邑に上陸した(神武東征)。
熊野で怪しい熊の妖気に当たり気を失ってしまうが、天照大神から剣を得て目覚め、
八咫烏の道案内で宇陀に入り橿原宮で天皇(神武天皇)として即位したという。
この熊野の神邑を新宮市とみる説がある(ただし異説あり)。
上古には熊野国があり、成務期までには熊野国造が置かれるようになったが、
大化の改新後の孝徳期 (645年〜654年)、紀伊国に牟婁郡として併合された。
併合前の熊野の範囲は、西は田辺市田辺地域を含まず、東は現在と同じだったが、
併合時に、田辺にあった牟婁郷と合わせて牟婁郡とし、
その一方でのちの北牟婁郡は志摩国英虞郡に移された。
(Wikipediaより))


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

石鳥居

※由来記

台風21号被害が甚大だったと~

※石燈籠

大きな樹が~

※無残に…

被害の木の枝が~

※二の鳥居正面

手水舎

※手水鉢
 
扁額

※四つ脚門

鍋蓋付鳥居
前に

※取っ手は無い…

拝殿舎正面



絵馬

※開運招福


※三重県熊野市甫母町
楯ヶ崎の写真が~

拝殿舎から本殿舎への
渡り廊下

※先は本殿舎

献句



献灯

※境内摂社

穂高見 命 玉依姫 命

※豊玉姫 命

池田庄
楠井嘉兵衛



台風被害ですと。

※宝物殿

摂社

※幸神社

事代主 命



大正八年
社務所建築委員石碑

※境内風景

熊野から海神の宮

※掲示板

此処にも三重県熊野市甫母町
楯ヶ崎



神主さんから
色んな話を伺いました。
ありがとうございました。
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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