古/いにしえの面影       其の一阡五百一
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2018年06月某日 某曜日
アップ日  2020年07月17日 金曜日
福井県大飯郡高浜町(立石子安地蔵尊)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

高浜町
福井県の最西端に位置し、青葉山(別名・若狭富士)を境にして京都府舞鶴市などと接している。
また、北陸地方の最西端の市町村でもある。
高浜町の属する大飯郡は、若狭(若狭地方)の西部に位置することから
若西(じゃくせい)と呼ばれる地域である。
日本海(若狭湾)に面し、大島半島と音海半島の間には日本の夕陽百選にも選定されている
若狭和田海水浴場および快水浴場百選にも選定されている白浜海水浴場などがあり、
夏期には多くの海水浴客が訪れる。
また音海半島と大浦半島では若狭湾のリアス式海岸が楽しめる。
日本海側気候であり、豪雪地帯に指定されている。
山岳地帯は、京都府とは丹波高地で連なっている。
(Wikipediaより)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

R27から分かれて
畑若狭和田停車場線を~

※三松海水浴場横目に~
今日はOFFの日

由来記
弘化期の石匠の銘も~
牧野九左エ門・浅五郎親子
藤原藤五郎

※多くの地蔵尊も~

反対側にも~



見事な地蔵尊



先へ~

※街道の面持ち

虫小窓・袖壁・千本格子



自転車でも来たいです。



妻入り家屋

※屋根の傾きは緩やかで
広いです。

タイムスリップしたような~



釈 宗演(しゃく そうえん、安政6年12月18日(1860年1月10日) - 大正8年(1919年)11月1日)は、
明治・大正期の臨済宗の僧。若狭国(現・福井県)大飯郡高浜村(現在の高浜町)の生まれ。
出家前は一瀬常次郎。号は洪嶽、楞伽窟、不可往。
本人の僧として初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた禅師として、よく知られている。
1916年12月9日には、弟子である文豪の夏目漱石の葬儀の導師を引き受けた。
(Wikipediaより)


※高浜漁港近く

海辺の風景
大好きです!



路地の向こうに青葉山

※石は重しになります。

漁村路地

※井戸と地蔵尊

懐かしい~

※海へと続きます~

西向いて~

※青葉山




路地裏には~

※鷹島
海釣り公園も~

見返って~

※集落内路地との比高
が石垣の高さ~

高浜漁港風景



室町時代に築城された高浜城の跡地である城山公園には、
高浜町の名勝「明鏡胴」や広い芝生広場があり、
公園内には遊歩道が整備されています。遊歩道を歩くと、
さまざまな奇岩や若狭湾などの眺望が楽しめる展望台があります。
また、夕日百景に選ばれており、青葉山に沈む美しい夕日を鑑賞できます。
釣りも楽しめるスポットで、さまざまな遊び方ができます。
(若狭高浜たびなびHPより)







小さな袖壁



 高浜町郷土資料館
拝見させていただきました。

※逸見 昌経(へんみ まさつね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
若狭武田氏、三好氏、織田氏の家臣。駿河守と称す。
織田信長の勢力が高浜に及ぶと、その家臣となり朝倉・武田軍との戦いに越前へ従軍。
その後も織田氏の家臣団の一つである若狭衆の筆頭として織田氏に仕えた。
武田元明が若狭に帰国した後も信長から高浜城5,000石の城主として認められ、
のちに武田方の武将武藤友益が改易されると領していた石山3,000石を加増された。
天正9年(1581年)2月28日の馬揃えに参加するが、およそ1月後の3月26日に死去した。
遺領8,000石のうち、高浜城5,000石は溝口秀勝に、新知分3,000石は武田元明にそれぞれ分配された。
昌経に子がないため断絶したとされるが、『若狭郡県志』によれば源太虎清という子がいたとされ、
信長が意図的に逸見氏の没落をはかったとも考えられる。
(Wikipediaより)


高浜小学校は、明治5年に収美校・磨鍼の二校を創立。
明治9年に合併。明治40年には高浜尋常高等小学校と改称した後、
大正14年に現在地に校舎を新築、昭和22年に高浜小学校と改称。
(高浜小学校HPより)




青葉山(標高693m)


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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