古/いにしえの面影       其の一阡五百九拾五
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2020年08月03日 月曜日
アップ日  2022年11月02日 水曜日

兵庫県朝来市羽渕(羽渕鋳鉄橋)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

羽渕鋳鉄橋(はぶちちゅうてつきょう)
「羽渕のめがね橋」の愛称のある鋳鉄製二連の美しい洋式の橋です。
明治20年に神子畑鋳鉄橋と同時に架橋されたもので、
神子畑鉱山・選鉱所から生野製錬所へ鉱石を運ぶ五つの鋳鉄橋のうちのひとつです。
明治22年の洪水による修繕を経て修復、以後、通学路や生活道路として使われていました。
平成2年9月の19号台風の災害による河川改修に伴い、
平成7年6月に当初架橋時の姿に復元され、現在の場所に移築されました。
(日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」HPより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

R312沿いに~



昔は馬車道…
レールは有ったんでしょうか?

※奇麗な手摺意匠~




R312挟んで~
山際に…
山口護国神社(生野義挙志士殉難之地)
文久3年(1863)10月、日本の歴史に残る事件がこの地で起こりました。
「生野義挙」または「生野の変」と言われる事変です。
この事変は270年続いた徳川幕府の政治に不満を抱き、改革を図ると共に、
欧米諸国の脅威から国を守ることを志す人々が、
但馬各地の農民と一緒になってこの地方における幕府の拠点である
生野代官所を占拠して挙兵をしたのが始まりです。
しかし、期待した同志の応援も到着せず、加えて内部の意思不統一と、
周囲の状況が不利となったため、再起を期して3日間で破陣し生野から脱出しましたが、
参加した同志並びに農民幹部の多くは途中において捕虜後、
処刑されるなど生存者はごく僅かでした。
 生野義挙はこのような経過で短期日の間にあっけなく終わりましたが、
この事変が魁となって4年後には明治維新の政変が成功し、新しい日本の誕生となりました。
(朝来市HPより)
前には



扁額付いた鳥居

※本殿舎?

正面は石標なんですわ。

※手水鉢

日清戦争碑

※日蓮宗
髭題目

正義十三士自害之地

※正義十七士の神霊碑

色んな時代の石標が
まとめられています。



大正3年銘の忠魂碑
日露戦争ですかね?

武田芳太郎翁頌徳碑


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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