古/いにしえの面影       其の一阡五百八拾二
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2020年01月14日 火曜日
アップ日  2022年08月31日 水曜日

奈良県大和郡山市山田町(松尾寺)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

松尾寺(まつおでら)は、
奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山の寺院。
山号は松尾山または補陀洛山(ふだらくさん)。
本尊は千手千眼観世音菩薩。開基(創立者)は舎人親王(とねりしんのう)と伝える。
「日本最古の厄除け寺」と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。
境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。
なお、寺名は「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれる。境内には湧き水もある。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

山門正面

※百八石段

閼伽井屋

※本堂正面

手水鉢

※境内風景

三重塔
絵に成ります~

※役行者石像

33ヵ所写し
西国霊場巡礼が盛んになると、地方の大名などが自分の居住する周辺に

西国霊場を勧請して新たな観音巡礼を作るようになった。
これを「西国写し霊場」という。
最も早期の西国写し霊場は源頼朝創建と伝える坂東三十三観音であるが、
これは鎌倉時代の天福2年(1234年)以前には既にあったという確実な史料があり、
かなり古いものである。
室町時代になると秩父に秩父三十四箇所も創建され、
西国・坂東・秩父を合わせて「百観音」というようになり、
百観音巡礼をする修験者なども増加した。
(Wikipediaより)

第1番
青岸渡寺(那智山寺)

※第2番
金剛宝寺(紀三井寺)

第2番
粉河寺

※松尾寺燈籠

第4番
施福寺(槇尾寺)

※第5番
葛井寺(藤井寺)

第6番
南法華寺(壺阪寺)

※第7番
龍蓋寺(岡寺)

第8番
長谷寺

※第9番
興福寺(南円堂)

第10番
三室戸寺

第11番
醍醐寺(上醍醐・准胝堂)

第12番
成法寺(岩間寺)

※第13番
石山寺

三重塔



第14番
長等山 園城寺(観音堂)三井寺

※第15番
新那智山(今熊野観音寺)

第16番
音羽山(清水寺)

※第17番
補陀洛山(六波羅蜜寺)

第18番
紫雲山(頂法寺)

※第19番
行願寺(革堂)

第20番
西山善峯山

※第21番
菩提山(穴太寺)

第22番
補陀洛山(総持寺)

※第23番
応頂山(勝尾寺)

第24番
紫雲山(中山寺)

※第25番
御嶽山(清水寺)

第26番
法華山(一乗寺)

※第27番
書寫山(圓教寺)

第28番
成相寺

※第29番
青葉山(松尾寺)

第30番
竹生島宝厳寺

※第31番
姨綺耶山(長命寺)
 
第32番
繖山(観音正寺)仏法興隆寺

※第33番
谷汲山(華厳寺)

丹生の社

※松尾山神社に向かう山道

道標兼ねた観音像

※十三重石塔

基部に梵字
タラーク
虚空蔵菩薩ですかね?

柳谷観音堂



丹波佐吉さん作ですね

※一つの石から掘り出されてますね。

背光の反りも~

※御顔も~

厄壌
私も書かせて頂きました~

※舎人親王(とねりしんのう)は、
飛鳥時代から奈良時代にかけての皇親・政治家。
天武天皇の第六皇子で、淳仁天皇(淡路廃帝)の父。
天武天皇の諸皇子の中で最後まで生き残り、奈良時代前期に長屋王とともに
皇親勢力の中心的存在として重用された。
『日本書紀』編修事業の総裁を務めたことでも知られる。
名は舎人皇子(とねりのみこ)とも記され、薨後に淳仁の父として
崇道尽敬皇帝(すどうじんきょうこうてい)の諡号を贈られた。
子孫の清原氏は高市皇子裔の高階氏とともに、
天武系の後裔氏族として長く血脈が続いた。
(Wikipediaより)

梵鐘

※銘には五位堂村
津田大和大極
藤原寅次作

 自然石使った
手水鉢

※寺院の木彫

 木鼻象



 鳥(鳳凰?)の彫り物

※裏もしっかりと~

 立派な石垣

※行場も在るんですわ。

 南総門

※案内絵図

 南惣門



 飾り瓦
天女

※法隆寺への道
 
下馬


やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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