古/いにしえの面影       其の一阡五百六拾八
怪しい親爺輪っぱの会
 別館 一人歩き編です。

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撮影日  2020年12月03日 木曜日
アップ日  2022年07月06日 水曜日

三重県熊野市(歩きポタⅪ)鬼ヶ城歩道トンネル
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

三重県南部における道路網の整備は,県庁所在地の津を起点として1910(明治43)年,荷坂~長島が開通し,
1917(大正6)年には尾鷲へと達した。
この区間には,長島隧道(紀北町),海野隧道(同),道瀬隧道(同),三浦隧道(同),
相賀隧道(同),尾鷲隧道(紀北町/尾鷲市)などの煉瓦造りのトンネルが建設され,
いずれもほぼ原形をとどめたまま現存して,交通路のあゆみを伝える貴重な土木遺産となっている。
熊野古道の難所のひとつであった松本峠に,隧道を含む道路を建設する計画は,
1921(大正10)年の三重県議会に上程され,1924(大正13)年度から3年間の継続事業として行われることとなった。
道路改修の延長は1896mで,ここに延長509.0m,有効高さ4.4m,有効幅員4.24mの木本隧道が建設された。
木本隧道の工事は,三重県の設計・監理,京都の矢野組の請負により1925(大正14)年1月14日に着工した。
掘削工法は,頂設導坑(ちょうせつどうこう)を掘削し,丸形(両側のアーチ部分)を切り拡げ,
中背(ちゅうぜ),大背(おおぜ)と掘削して最後に土平(どべら:側壁部分)を返すいわゆる日本式掘削工法によって行われたが,
これは当時の標準的トンネル掘削工法であった。
掘削は発破を使用し,支保工(しほこう)には枝梁(えだばり)式支保工と後光梁(ごこうばり)式支保工が用いられた。
覆工(ふっこう)は204.3m区間のみに施され,アーチが煉瓦,側壁が煉瓦と場所打ちコンクリートの併用で,
煉瓦の巻厚は地質に応じて3枚巻~5枚巻とし,その他の区間は,地質が良好であったため無巻とした。
工事は両坑口から掘り進め,1925(大正14)年11月20日に導坑が貫通し,翌年6月30日に本体も竣工して,
同年7月26日に県知事(県土木課長が代理),県会議長,県会議員ら約200名の参列の下に,盛大な開通式が挙行された。
(JSCE土木学会選奨土木遺産HPより)

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R42
右の一通道路が旧国道なんですね。

※大泊側
坑口風景

鷲地方の煉瓦トンネル群の一つで、
よく整えられたデザインの抗門を備えた、
大正期最長の道路用煉瓦トンネル

(JSCE土木学会選奨土木遺産HPより)

※JSCE土木学会選奨土木遺産票

車道と歩道が分離されています。
昔は背の高いトラックなら
行き違いは無理でしょうね。

※この辺りはモルタルの下は
煉瓦でしょうね。

中央部分は
手掘り区間



 熊野市側



熊野市側風景~

※追悼碑入口

台地状に成っています。

※大阪人権博物館(おおさかじんけんはくぶつかん)は、
大阪府大阪市浪速区にある人権に関する大阪府の登録博物館。

愛称はリバティおおさか。運営は公益財団法人大阪人権博物館。
日本全国で見られる同和対策事業の一つ。

被差別部落、在日コリアン、公害被害者、ハンセン病患者、薬害被害者などの史料を展示していた。
1985年の開館以来、約7000平米の市有地の無償貸与を受けていたものの、
2014年10月、市長の橋下徹の方針転換で市から年間2700万円程度の賃料の支払を求められるようになった。
これに対し、博物館は2015年1月、財源がないことを理由に、
無償貸与の継続か、数百万円程度までの減額を求めたが、

市はこの要求を拒否し大阪地方裁判所に提訴した。
2020年和解が成立、退去条件として2015年度からの賃料を免除することとなった。
2020年5月31日で一旦閉館、2年後の2022年に場所を移転して再開館の予定。
(Wikipediaより)




白い石が沢山
収められた地蔵尊
 
石臼

※流し台
やはり持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖擦り合うも他所の縁~
いつまで知った景色が在るのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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